I-II スミスの思想形成の背景:多様な分野への関心

 スミスの蔵書というと、経済学、法学・政治学、道徳哲学に関連する書籍が大半を占めているイメージを抱くかもしれません。しかし実際には、経済学・道徳哲学とは関連性が見えてこない分野にまたがっていることが確認でき、スミスがいかに多様な分野に関心をもっていたのかが明らかになってきます。

 本章では、スミスが特に関心を持っていたイタリア文学を中心に、旅行記・博物誌・幾何学関連の書籍を紹介します。

イタリア文学・芸術
 アダム・スミスは、古代ローマと近代イタリアの思想・歴史・文学(表現技法)・慣習に関心を持ち、そこから得た知識を広く適用し、自身の著作にも活かしたいと考えていました。中でも、文学作品を愛好し、トルクァート・タッソやルドヴィーコ・アリオストの騎士の物語詩やダンテ、ペトラルカの詩、その他イタリア語の古典を収集していました。また、作品を読むためのイタリア語の習得にも努めました。実際に、アンニバーレ・アントニーニの『イタリア語,ラテン語,フランス語辞典』 (Dictionaire italien, latin, et françois, 1635)[スミス1781年カタログ, Sheet 22]と『フランス語, ラテン語, イタリア語辞典』(Dictionnaire françois, latin et italien, 1743)[スミス1781年カタログ, Sheet 10]、ジョヴァンニ・ヴェネローニの『イタリア語完全習得のための教本』(Le maître italien, dans sa derniere perfection, 1740)[スミス1781年カタログ, Sheet53]等が、スミスの蔵書目録にも記録されています。これらは、東京大学経済学図書館所蔵「アダム・スミス文庫」のコレクションの中に含まれています。さらに、スミスが英語とイタリア語の韻律法の比較研究にも従事していた事も、蔵書からうかがい知ることができます。

トルクァート・タッソ『エルサレム解放』(グラスゴー、1763年)
Torquato Tasso, La Gierusalemme liberata

 

 イタリア・バロック文学の詩人トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-95)の代表作『エルサレム解放』全2巻。総革装・綴付け製本。全20歌からなる長編の叙事詩で、イタリア文学の古典の中でも主要な作品として知られています。物語は、中世の第一次十字軍を題材とし、キリスト教徒とイスラム教徒の騎士たちの壮絶な戦いと死、そして異教徒間の報われない男女の愛が描かれています。
 展示画像は、作者タッソの肖像の口絵、第1巻のタイトルページ、第2歌・第5歌・第6歌の挿絵(銅版画)とその冒頭です。

第1巻口絵

左:タッソの肖像
右:書籍タイトル入りの絵

第1巻タイトルページ

第2歌の挿絵と冒頭

第6歌の挿絵と冒頭

第7歌の挿絵と冒頭


ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』(ボローニャ、1647年)
Giorgio Vasari, Le vite de' più eccellenti pittori, scvltori et architetti

 

 イタリア人画家・建築家のジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-74)の『美術家列伝』全3巻。総革装・綴付け製本。中世からルネサンスにおけるイタリアの芸術家たちの伝記が3部構成で記されています。第1部がコジモ・デ・メディチへの献辞、第2部が序文、第3部が建築・絵画・彫刻の技術論や各芸術家の伝記となっています。
 展示画像は、第1部・第2部所収の口絵とタイトルページ、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)、ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi, 1483-1520)、ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475-1564)の各伝記の冒頭です。特に「レオナルド・ダ・ヴィンチ伝」は、レオナルドの生涯とその作品に関する史料的価値の高い伝記として評価されています。

第1部・第2部口絵

第1部・第2部タイトルページ

  レオナルド・ダ・ヴィンチの

  章冒頭

(第3部第1巻, p.7)

  ラファエロの章冒頭

(第3部第1巻, p.71)

  ミケランジェロの章冒頭

(第3部第2巻, pp.134-135)


旅行記
 スミスが生きた18世紀における航海・旅行記は、百科事典や博物誌と同じく、世界と自然に関する驚異的なほど多様な事項を、家に居ながらにして知り尽くすことのできる書物でした。いずれも、観察的事実を記述するという方法では共通していますが、18世紀ならではの誤解や逸脱も見られます。

ジョン・ハリス『航海・旅行記集』(ロンドン、1764年)
John Harris, Navigantium atque itinerantium bibliotheca…

 

 王立学会(Royal Society)のメンバーである学者ジョン・ハリス(John Harris, 1667?-1719)による旅行記全2巻。総革装・綴付け製本。本書は、マルコ・ポーロ(Marco Polo, 1254-1324)フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan, 1480?-1521)やフランシス・ドレーク(Francis Drake, 1540/43?-96)など様々な人物の航海について、ハリスが編集したものです。またその記述に関する図版や地図が添えられています。
 展示画像は、第1巻所収のタイトルページ、世界地図、フランシス・ドレークの肖像画、「広東市街図」、マルコ・ポーロの航海に関する記述とその関連の地図です。

第1巻タイトルページ

  世界地図

(第1巻, p.6の後)

 フランシス・ドレークの肖像画(第1巻, p.14)

「広東市街図」

(第1巻, p.359)

  マルコ・ポーロの

  航海の地図と冒頭

(第1巻, p.593)


博物誌
 スミスと自然科学との関係は、ニュートン主義のスミスへの影響が多く語られてきていますが、スミスは博物誌からの影響も受けていたとも言われています。実際に、スミスは多数の博物誌関係の書籍を所蔵しており、ジョルジュ・ビュフォン(Georges Buffon, 1707-88)の『博物誌』もそこに含まれています。

ジョルジュ・ビュフォン『博物誌』(アムステルダム、1766年)
Georges Buffon, Histoire naturelle, générale et particulière, avec la description du Cabinet du Roi

 

 フランスにおける生物学の基盤を築いた人物として知られるジョルジュ・ビュフォンの新版『博物誌』。総革装・綴付け製本。当時最大級のベスト・セラーとして知られています。本書は、博物誌全般を論じた1-3巻、四足獣を扱った4-15巻、および補遺全6巻で構成されています。蔵書目録によれば、スミスは全巻を所蔵していたようですが、東京大学経済学図書館はこのうちの4-15巻と補遺全6巻を所蔵しています。
 展示画像は、第6巻「野生動物」から、タイトルページ、1ページ目、シカやウサギに関する図や解説の一部です。

 第6巻

 タイトルページ

第6巻

本文冒頭(p.1)

第6巻

図版1「牡鹿(アカシカ)」と

図版2「雌鹿」

第6巻

図版30 「ノウサギ」と解説

第6巻

図版43 「カイウサギ」と

図版44「ラパン・リシュ

(カイウサギの古来種)」


幾何学
 スミスの関心は、数学の分野にも向けられていました。ただし、それは単なる知的関心だけではなかったようです。スミスは、労働者の労働能力と知的・社会的能力を発達させる必要性を感じ、国民全員に「教育の最も基本的な部分、つまり読み書き、計算」を習得させる学校の設立という初等公教育の提案をしています。この提案の中で「幾何学と機械学の初歩」を教えることも提唱していたことを考えると、スミスの蔵書に幾何学関連の書物が含まれることはうなずけます。

エウクレイデス『幾何学書』(グラスゴー、1781年)
Euclid, The elements of Euclid

 

 エウクレイデス(Euclid, ??-??)による『幾何学書』。総革装・綴付け製本。スミスが所蔵していたのは、グラスゴー大学で数学教授を務めたロバート・シムスン(Robert Simson, 1687-1768)による訂正・編集版です。文中には、理解を助けるような詳細な書入れが見られます。
 展示画像は、タイトルページ、本文中に書入れのあるページ、裏見返しに記された図です。

タイトルページ

 書入れのあるページ

(pp.8-9)

 書入れのあるページ

(pp.12-13)

 書入れのあるページ

(pp.94-95)

裏見返し