ベトナム古文書の世界

 ここでは、本展示を公開する令和6年(2024年)が辰年であることにちなみ、王朝時代のベトナム古文書のうち、特に「龍」の図像が含まれるもの(誥勅1点と神勅6点)を取り上げ、そのテクストだけでなく形態(紙と文様)にも焦点をあてて展示・解説する。

 誥勅とは、官僚への辞令書の1つで、阮朝期(1802-1945)には、その書式は、文武一品から九品までの各品級に応じて詳細に定められていた。神勅は、民間で信仰されている神々に対して、朝廷が神号や等級を与え公認するために発給したもので、通常、各村落の宗教施設で大切に保管されていた。前者が朝廷による官僚統制の痕跡であると見るなら、後者はその統制の手を神界にも及ぼしていたことを示すものと言える(宇野2004)。

 いずれの文書も、ベトナムが文化的に中国の影響下にあったことを反映して、靭皮繊維を原材料とする手漉紙に、漢字を墨筆で記したものとなっている。ここで用いられる紙は、「龍勅紙」「龍騰紙」などと称されるもので、手漉紙(横幅1~1.5メートル程度)を黄色に染色し全面に銀で雲間の龍を描いており、その文様の種類は、書式と同様、発給先に応じて詳細な規定があった。龍はもともと、中華王朝の皇帝権力を象徴する霊獣として、各種文物の意匠に用いられてきたが、文書の世界では、たとえば周辺国への詔勅の例(四辺の枠内に配される)が知られる。その文書が皇帝発給のものであることは、龍の爪の数(五爪龍紋)で示されていたように、当時の東アジア世界において、中華皇帝以外の者が五爪龍紋を使用することは許されなかったが(渡辺ほか2021: 73)、しかし、本展示で掲げられるベトナム古文書をよくみると、五爪の龍が描かれているものが含まれることに気づくであろう。ベトナムは中華王朝とは別に独自の天下意識を有し、ここに君臨する王は「皇帝」として振る舞っていたことはよく知られるところであるが、そうした事実の痕跡がこうした文物の中にも遺されているわけである。

 

 なお、料紙に関する情報取得は、2016年4月26日におこなわれ(詳細は矢野2018参照)、その後、東アジア全体の古文書研究プロジェクトとして当資料室において研究を進めてきている。所蔵者の大川昭典氏(元・高知県立紙産業技術センター技術第二部長)には、この貴重な資料の熟覧および画像の使用を快諾いただいた。記して謝意を表する。


1 成泰十一年(1899)六月四日誥勅


2 景興四十四年(1783)七月二十六日神勅


3 明命二年(1821)七月二十一日神勅


4 嗣德三年(1850)十一月二十六日神勅


5 嗣德三十三年(1880)十一月二十四日神勅


6 成泰十六年(1904)十一月二十五日神勅


7 維新五年(1911)閏六月八日神勅