第II部  スミスが生きた時代 : ウィリアム・ホガースのまなざし

 第II部では、スミスが生き、知識を蓄積して思想を形成してきた時代、その当時のイギリス社会がどのようなものであったか、同時代を生きたウィリアム・ホガース(William Hogarth, 1697-1764)が描いた版画を通して見ていきます。
 ホガースは、「イギリス絵画の父」と称されるように、18世紀イギリスの画壇を代表する国民的画家ですが、本人の名前や作品が庶民の間でも知られるようになったのは、イギリスの当時の社会・日常生活に焦点を当て、そこから道徳的・教訓的主題を見出した社会風刺版画によってでした。実際に彼の版画は、「描かれた道徳(pictured Morals)」と評されました。ホガースは題材となる情報収集のために、頻繁にコーヒーハウスに足を運び、そこに備えられている数種の新聞や雑誌の社会面を読み漁ったと言われています。
 本展示の版画は、スミス研究やスミス旧蔵書の保存のために尽力した大河内一男(東京大学元総長・名誉教授, 1905-84)・暁男(東京大学名誉教授, 1932-2017)の両氏が親子2代にわたって収集し、2017年に東京大学経済学図書館に寄贈したものです。本展示では、その71点の中から、スミスが生きた18世紀イギリスの社会・政治・宗教を描いた5点を紹介します。

「ビール街」(1750-51) 
  Beer Street

 

 この作品は、「ジン横丁」と一対で販売されました。これら2作品からは、当時のイギリスにおける日常生活の明と暗がはっきりと浮かび上がってきます。
 舞台は、ロンドンのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ。時は、時の国王ジョージ2世の生誕日の10月30日。この日を祝して、人々はビールを浴びるように飲んでいます。楽しそうにビールを味わう肉屋と鍛冶屋の前にあるテーブルには、ジョージ2世が1748年議会で行なった演説を掲載した新聞が置かれています。そこには、イギリスの商業の繁栄と平和の推進が主張されています。また、中央にみえる魚売りの女性たちも、ビールを飲みながら、ホガースの友人である詩人ジョン・ロックマンの「ニシン漁に寄せる新バラッド」を読んでいます。当時のロックマンは、「自由なイギリス漁業」という組織に雇われており、イギリスのニシン漁の重要性を唱えていました。


「ジン横丁」(1750-51)
  Gin Lane

 

  ジンによって堕落・困窮し、飢えた貧困層の様子を風刺した作品です。舞台は、当時貧民の巣窟を言われたロンドンのスラム街セント・ジャイルズ教区。
 中央の階段には、泥酔して赤ん坊を落としてしまう母親の姿が見えます。右側には、担架に乗せられた瀕死の患者にジンを飲ませる人や、乳児にジンを飲ませる女性、ジンで乾杯をする2人の少女が描かれています。ジン樽が並ぶ店の隣では、この家の主人がジンに溺れて首つり自殺を図っています。中央の広場奥では、ジン中毒で死亡した母親が埋葬され、その傍らで母親の子が横たわっています。こうした退廃的な様子は、繁栄を謳歌する様子を描いた「ビール街」とは対照的です。
 この作品からは、当時、成人の死亡者の80%が、ジン等の火酒の過飲者であったと言われるほど、アルコールによる害が深刻であったことが読み取れ、18世紀イギリスの暗部が浮き彫りとなっています。


「わがイングランドのロースト・ビーフ」(1748-49)
  O the Roast Beef of Old England

 

 別名「カレーの門」(The Gate of Calais)。1748年、ホガースは2度目のフランス旅行にでかけましたが、ドーヴァー海峡を渡ってフランスのカレーに到着後、スパイ容疑で逮捕されてしまいました。この版画は、その当時の様子を題材に、ホガースの祖国イングランドを誇る一方で、フランスをはじめとする周辺地域を揶揄した作品です。
 ロースト・ビーフは、イングランド人の旅行者を賄う「カレーのグランサイヤー夫人」最中で、その肉を、通りがかりの巨腹の修道士が触れています。飢餓に苦しむフランス兵たちは、そのロースト・ビーフを羨ましそうに見つめています。右手前には、スコットランド人の傷病兵が座り込んでいます。なお、作品内には、スケッチブックをもったホガース自身と、彼を逮捕しようとその肩に触れる人物の手も描かれています。


「裁判官」(1758)
  The Bench

 

 ウィッグをつけた4名の裁判官が法廷に出ている様子を描いた一枚。中央の主席裁判官は、悪名高いジョン・ウィルズ卿で、ウィルズ卿から見て右隣りの横を向いた人物がエドワード・クライヴ卿、ウィルズ卿から見て左隣りの人物がヘンリー・バサースト、その肩にもたれて居眠りをしている人物がウィリアム・ノエルです。
 裁判官たちの上部には、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に登場する弟子たちや、裁判官たちの顔を誇張して表現した戯画が描かれています。
 本作品は、法律家の怠慢さと無能さを風刺するものであると同時に、「絵画における性格、戯画、誇張という言葉の相違について」という副題を付して、この4名の裁判官の「性格」の描写を、作品上部に描かれた「戯画」と「誇張」から区別しようとしています。ホガースは、この版画を通じて、「性格」描写と「戯画」は混同されがちですが、「戯画」は一種の「誇張」であり、本質的には全く異なるものであることを示したのです。


「居眠り会衆」(1736)
  The Sleeping Congregation

 

 高い説教壇に立つ牧師(Rector)が、「マタイによる福音書」の第11章28節「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」を漫然と読み上げています。それを受けてか、会衆の多くは「休」んでいます。右手前の娘は、「結婚について」の章を開けたまま居眠りをしています。その横の牧師は、その娘の胸元を覗いています。
 このように退屈な説教、居眠りをする会衆、不謹慎な牧師、説教壇の側壁に刻まれた「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。」(「ガラテヤの信徒への手紙」第4章11節)の聖書の言葉、また左上部の「神と私の権限」のモットーの「神」の文字が意図的に隠されていることなどから、当時のイギリスにおける信仰への不熱心さをホガースが風刺していることが分かります。